佐賀県神埼にエッフェル塔があるって知ってますか?
佐賀県出身の私も知りませんでした!
そのエッフェル塔を作ったのが、馬場憲治さん(馬場ボデー)。
馬場憲治さん(馬場ボデー)は地元では有名人で、「佐賀のダヴィンチ」と呼ばれているんです。
今回は、馬場憲治さん(馬場ボデー)は佐賀のダヴィンチ!エッフェル塔やゼロ戦を作ったって本当?についてまとめてみました。
馬場憲治さん(馬場ボデー)は佐賀のダヴィンチ!
ラグビーの魅力伝えたい 馬場憲治さん「佐賀のラガーマン」本出版 佐賀工高中心、五郎丸の活躍も #sagashimbun #saganews #sagasports https://t.co/Kk7hE072pV pic.twitter.com/hEjkzyxx6C
— 佐賀新聞ニュース (@sagashimbun) January 15, 2020
佐賀のダヴィンチこと馬場憲治さん。
有限会社馬場ボデーの社長さんです。
プロフィールを紹介しますね(#^.^#)
プロフィール
名前:馬場 憲治(ばば けんじ)
生年月日:1948年
出身地:佐賀県神崎郡三田川町(現在の 吉野ヶ里町)
学歴:佐賀実業高校(現在の佐賀学園高校)
職業:板金塗装職人、技術者、発明家、現代アート作家、陸上競技選手
肩書:馬場ボデー社長

馬場ボデーさんは、創業49年の塗装車検修理等、車関係全般を幅広く手がける会社です。
板金、塗装、塗料の1級技能士や2級自動車整備士免許など国家資格を26個も持つマルチな才能の持ち主なんです!!!
そして経歴も凄いんです!!!
経歴
・高校卒業後、福岡県の車体メーカーに就職
・5年後、故郷の佐賀県に戻り馬場ボデーを創業
・1982年 工場敷地内に約17mのエッフェル塔を建設

1982年に完成したエッフェル塔は、吉野ヶ里公園の整備に伴う工場移転の為、残念ながら解体されました。
・1984年 階段昇降車いすの開発で国際的な特許を取得
シャボン玉製造器などを開発

1秒間にシャボン玉を100個作れる装置。
超簡単にシャボン玉を飛ばし放題で、大人もテンション爆上がりマシーン。
発明のきっかけは東日本大震災で、被災地の子供たちに向け作成。
作品名の『おともだちさくせん』は、アメリカ軍の復興支援活動『オペレーショントモダチ』からつけたそうです。
・1986年 スプレー画で日仏現代美術展に入選
・1990年 マリリン・モンローの肖像画はニューヨークアート大会優勝作品

マリリンモンローのスプレー画は5分間で描いたそうです。
スプレーアートは塗装技術を磨くために始めたそうですが、続けていくうちにどんどん本気になり、世界から認められるレベルにまで上達したそうです。
その他にも、1990年カナダ美術賞入選作品も馬場さんの工場にはありましたよ。
馬場さんは極めるまでガチでやっちゃう性格なんですね!
・1998年 沖縄で開催されたアジアベテランズ陸上大会(50~54歳)で棒高跳び2位

交通事故のリハビリで始めた棒高跳びで大会に出るまでになるって、本当に努力家ですよね!
・1999年 完成までに約6年かけて、約22メートルの現在のエッフェル塔を完成
・2002年 中国・大連で開催されたアジアマスターズ陸上競技大会(男子50~54歳)棒高跳び優勝

1998年のアジアベテランズ陸上大会での2位の成績が悔しくて努力されたんでしょうね~。
・2005年 約2年をかけて旧日本海軍の戦闘機「ゼロ戦」の模型を作成
馬場さんはある意味天才ですね!
馬場さんの手作りの作品は本当に凄いんですが、そんな作品が馬場さんの作品が、工場には雑に放置されているみたいです・・。
日課
馬場さんの更なるエピソードは!!
今年、73歳の馬場さんが毎日欠かさない日課は筋トレ
腹筋一日500回
腕立て100回
毎日されています!!
棒高跳びの為という事ですが、まさに「パーフェクトヒューマン馬場」ですね(#^.^#)
馬場さんは12時間の就業が終わってら、自分の第二ラウンド開始!!
という事で、現在は執筆活動をされています。
なんと!!!
4月末にまた本を出版されるんです!!
作家の肩書を持つ馬場さんは、現在2冊の本発売中です。
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4月発売予定の新刊は「町工場のおっちゃんの歌」というタイトルです。
どんな内容の本なんですかね~。
気になりますね!!
馬場憲治さん(馬場ボデー)はエッフェル塔やゼロ戦を作った理由は?
エッフェル塔
馬場さんが何でエッフェル塔を作ったかというと
「田園空間の中に最高のデザインをしたくて」
と言われていました。
本家エッフェル塔に感動し、約7年半かけて約23メートルのエッフェル塔を作られました。
あす。12時半ごろから。
よろしくお願いします。
自信を持ってめちゃくちゃ面白いです。#福岡くん pic.twitter.com/8IzcHLtOXs— 地元検証バラエティ 福岡くん。 (@Fukuoka_kun) February 26, 2022
仕事で培った技術でエッフェル塔を建設。
しかし、佐賀のエッフェル塔は、本家のエッフェル塔と少し違い、サブがついているんです。
元々は、本家のフェルトにもサブがつく予定だったのですが、お金と人手不足でサブ設置されませんでした。
佐賀のエッフェル塔が本物??と思ってしまいますよね(笑
本家のエッフェル塔の当時の着工図には、サブが付いているそうですよ!!
馬場憲治さんは
本家が断念したやつを作るぞ!
と思い、14分の1のサイズでエッフェル塔を作りました。
佐賀のエッフェル塔も頂上まで登ることもできるそうですが、手すりは無いそうです・・。

ちなみに、本家エッフェル塔が建設されたきっかけは「パリ万博」
大阪の「太陽の塔」みたいな感じですね
エッフェル塔は、パリ万博のメインとなるモニュメントとして建設され、万博後に取り壊される予定でしたが、技術の進歩で電波塔となり今ではパリの象徴になっています。
佐賀のエッフェル塔も、建設された1999年は、地元では騒ぎになったそうです。
そして、建設されてすぐは交通事故が多発。
みんながよそ見してしまったんでしょうね・・・。
エッフェル塔は夜になるとライトアップされます。
事故に注意して見に行きたいですね(#^.^#)
佐賀のエッフェル塔の場所はこちらです。
住所:佐賀県神埼市神崎尾崎312
アクセス:JR神崎駅から車で約7分
ゼロ戦
馬場ボデーには、ゼロ戦の頭の部分の模型制作時のレプリカがあります。

ゼロ戦52型は、1943年製造開始。
ゼロ戦各型で最多となる6000機生産されました。
馬場景お父様がゼロ戦の整備士でした。
馬場憲治さんは、ゼロ戦の復元を依頼され、戦争の悲惨さを後世に伝えるためにゼロ戦の制作をする事にしたそうですよ。
馬場ボディでば、実物大のゼロ戦が作られました。
そしてそのゼロ戦の完成度の高さゆえ、映画「永遠のゼロ」で使用されました。
岡田君が操縦したゼロ戦は馬場さんが作ったんですね~。
馬場さん本当に凄い人物ですね(^_-)-☆
脊振山の赤い翼
-アンドレ・ジャピー機遭難記-
馬場ボデーの社長、馬場憲治さん著書、一気に読み終えた。
先日の劇団SAーGAで題材となった特攻隊の事も書かれていて感慨深かった。
脊振山でそんな出来事があったのか。
先日の公演の際には大きなスタンドのお花を頂き、誠にありがとうございました。 pic.twitter.com/AamWN28EWm— 青柳亜紀 (@Aoyagi_Aki) November 13, 2021
手作りの茶室
馬場さんは、手作りの茶室も作っています。
豊臣秀吉が茶室を作った時の図面を見て、その通りに作ったそうで草庵茶室を再現しています。
以前は、佐賀県唐津にある名護屋城博物館に展示されていました。
馬場憲治さんが茶室を作ったきっかけは、県の人が茶室の図面を見せてくれた事がきっかけでした。
「茶室だから馬場さんには作れませんよね?」と県の人に言われた馬場さん。
その言葉に火がついた馬場さん、仕事の合間で約1ヶ月で茶室を再現したそうです。
佐賀のダヴィンチに作れないものはないんですね!!!
豊臣秀吉の黄金の茶室の復元が3月27日から公開されます。
こちらは、馬場さんが作成したものではありませんが、金箔をしようした茶室気になりますね。
豊臣秀吉「黄金の茶室」復元 金箔1万6500枚使用 名護屋城博物館【佐賀県唐津市】|佐賀のニュース・天気|サガテレビ https://t.co/nuuxFxZ4pE
— 歴史雑談録 (@rekishizatsudan) March 3, 2022
馬場憲治さんの背振山の赤い翼は中々書店では手に入らないようです。
馬場憲治さん(馬場ボデー)さんまとめ
馬場憲治さんは、整備士・建築家・芸術家・アスリート・作家。
肩書が多すぎて何の人が分からないですね(笑
そんな馬場さん、ものづくりにかける情熱の根源とは?という質問に
「まずものを作るって大変なんですよね。あーもういらんことに首突っ込んだ!!っていつも思う。思いながらもそこで投げ出せないていうか、まぁその苦しみが好きなんでしょうね。多分」
常に挑戦し続ける馬場憲治さん、超かっこいい人ですね。
何足ものわらじを履いてる馬場さんこれからも色んな事に挑戦されるんでしょうね。
最後までお読み頂きありがとうございました。
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